代表嶋田の職歴その2 ~再出発~

タイトルを重々しく、~どん底から・・・~と書きましたが、今思えば、何をしたくて、何ができるのかを

自問自答する期間となり、その間、収入面、精神面で悩んだと言うことです。

 

「その1」でもご紹介したように、立ち上げに携わった部署を投げ出して転職する訳ですが、

とにかく人材業界は景気に左右されやすい筆頭業種で、1990年初等のバブル崩壊、

2000年初等のITバイブル崩壊、続いて2008年のリーマンショックがあり、そのたびに、

収益が大きく下落する状態に陥り、厳しい状況を体験してきました。

 

ですから、当時私は「人材業界から抜け出るには40才前の今しか無い!」と腹をくくり、

全く異なる業界に転職。その転職先とは、株式会社横浜ベイスターズ、

今のDeNAベイスターズの前身となる親会社がTBSの時代のプロ野球球団です。

 

実は球団は、正社員雇用者は一握りで、アルバイト、パート、契約、外部からの請負社員で

構成されており、私はとあるスポーツマネジメント会社からの業務請負者としてジョインしました。

もちろん当時の私は最終的には正社員入社を志していたわけですが。。

 

私が球団で任されていた仕事は「ファンクラブリニューアル」で、それまでのアナログな

運営からネット経由の会員登録や購買記録を記録するなど新しい試みにチャレンジ。

ファンの方々との直接対話やファンイベントの企画・運営など大きなやり甲斐がありました。

 

しかし、土日・祝日の出勤、しかも試合の無い月曜も出勤、ナイターのある日も朝9時に出勤し、

試合後帰宅は12時必須といった日々が続き、家庭や今後のことを考えると

長くは続けられない仕事であり、長く続けられる仕事では無いと早々に悟りました。

 

そんなこともあり、40才を目前にして再度転職を決意するに至り、ハローワークや求人広告をみて

何社か受けましたが良い回答は得られず、内定をいただいた会社もありましたが、

納得できる仕事内容や待遇ではなかったりと、ほぼ無収入のまま1年を費やしてしまいました。

 

そんな時声を掛けてくれたのが、今でもツール制作でお世話になっている株式会社ハーテックの村越社長で、

私が新卒入社した株式会社学生援護会の上司にあたる方です。そこでは契約社員雇用でしたが、

ホームページや入社案内、動画制作と各種制作現場をみることで、作り手の苦労を垣間見ることができました。

 

しかしこのとき私は、やりたいのは制作ではなく、採用支援なんだと気付き、再び採用支援の前線に

戻ることを決心するに至りました。現在の切っ掛けをいただいた村越社長には感謝してもしきれません。

 

さて、本来であればこのタイミングで「起業!」と言いたいところですが、もうワンクッション置いています。

同じ株式会社学生援護会時代の先輩にあたる西本社長の会社に契約社員でお世話になることになります。

 

「代表嶋田の職歴その3」に続きます。